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スタッフコラム

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スタッフ全員で綴る連載コラム

Vol.49

2009年12月01日

芳賀 晶子 <助産師>
或る助産師の妊娠出産体験記

「助産師さんのお産てやっぱりスムーズなんですか?」と時々聞かれます。私に限って、その答えは“NO”です。そんな私の体験をお話したいと思います。・・・ちょっとヘビーかもしれませんが。
私の妊娠出産をタイトにまとめると・・・2ヶ月間のつわり(2度と体験したくないもの№1)→つかの間の楽しいマタニティライフ♪(ある日、ラーメン博に行きラーメンを食いあさっていると当院で出産されたママさんに会い「妊婦がそんなにラーメン食べたら中毒症になるよ」と笑顔で忠告された。後に見事的中する)→切迫早産で1ヶ月入院→退院後1週間で血圧上昇。妊娠高血圧症候群に→分娩誘発→お産の中盤で赤ちゃんの具合が悪くなり緊急帝王切開。教科書で言えば「異常編」の三冠王を取った感じです。(こんな人は稀です)
辛かったのはその後でした。「こんなはずじゃなかった」この一念に苦しみました。帝王切開が決まるまで、自分が帝王切開になるとは夢にも思っていませんでした。「お産こそはうまくいく」と願っていました。帝王切開の必要性は十分理解できたものの、手術中の私は表面は笑顔で取り繕い、心中は敗北感で一杯でした。子どもが生まれて嬉しいとか、元気でよかったとも思えませんでした。一人の時は毎日泣いていました。育児を達成感や充実感からスタートできない事ほど辛いことはありません。体調不良から子どものお世話もままならず、周りのママ達が生き生きして見え、やり場のない葛藤から抜け出す糸口も見つからず、お腹の傷も受け入れられませんでした。こんな心境になるのは私の未熟さ故、と思っていましたが、復帰して半年、同じように苦しむママ達が少なくないことに気づきました。自分のお産が受け入れられなかったり、どうしてうまくいかなかったんだろうと自分を責めたり・・・。私にはその気持ちが痛いほど分かります。でも、私の経験を押し付けてはいけませんが、必ずその葛藤から救われる日が来ることをお伝えしたいです。
ボロボロだった私も、今では自分のお産を受け入れ胸を張ることができます。そこに至るには数ヶ月かかりましたが、立ち直るきっかけをくれたのは紛れもなく我が子でした。息子は生後しばらくして、些細な病気になり、こども病院を受診しました。仕事で何度も行っていましたが、ママとして子どもと訪れたこども病院は全く違う景色に見えました。そこで私が見入ったのは、病気と闘う我が子を愛おしそうに抱いて微笑みかけるママ達の姿でした。病気だろうが健康だろうがただ純粋に我が子を守る、母親の原点とも言えるその姿に私は目を覚まされた気がしました。私は、思うようなお産ができなかったと卑屈になって落ち込んで、子どもを純粋に愛することもできない自分が情けなくなりました。そして初めて「無事に産めてよかった。それ以上に何を望むんだ。」と思いました。“母子共に無事にお産を終えること”それこそがお産の最大の目標であることをやっと思い出し、自分はその目標を達成できたのだと素直に認め、「私、頑張ったじゃん!」と思うことができました。
よく「いいお産」というフレーズを聞きますが、私はあまり好みません。「いいお産」って何?誰が決めるの?悪いお産ってあるの?と考えます。お産は他人に評価されるものではなく、他人と比べるものでもなく、自分が自分のお産をどう捉え、受け入れるかに尽きるのだと思います。短時間での自然分娩も、緊急帝王切開も、お産の方法がどうであれ命を生み出すという点で皆同様に価値があり、皆同様に「頑張ったお産」なのだと私は捉えています。人生の一大イベントであるお産に、ああしたい、こうしたいと想いを馳せるのは大切なことだと思います。でも、妊娠出産は何が起こるかわからず、自分の努力だけではどうにもならないこともあると痛感しました。だからもし、自分のお産がイメージしたものと違っても「私は頑張ったんだ」と胸を張って欲しいと思います。特にお産に関しては、方法より結果重視、赤ちゃんを無事に産めたという結果が、必ずお産のトラウマを癒してくれるのだと私は信じています。そして、子どもの健やかな成長が更に自分に自信を与えてくれます。
皆さんの心にそっと寄り添える助産師を目指し、仕事と育児の両立を頑張っていきます。私の2人目の妊娠出産はどんな展開になるか乞うご期待!産後しばらくは「2人目は絶対下から産んでやる!」とすごんでいた私ですが、今は母子共に無事であればどんな方法でもいいな、と思っています。

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